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腹違いの弟が日本人女性と別れて在日朝鮮人の女性と電撃結婚した

腹違いの弟が在日朝鮮人の女性と電撃結婚

 

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目次

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2018年は年明け早々、タワーマンション36階に引っ越したら年賀状が届かなくなったと嘆き、七草がゆも食べないうちに「松の内」が過ぎたよ。

元旦に年賀状をくれたのはインターネットに疎いお年寄りだけ。

いよいよ年賀状というアナログ文化が廃れてしまったのかな。

 

一般的に年賀状は松の内に返事を出すのが常識とされている。

でも、わたしの地元は北海道だけに、本州の習慣をまったく無視したマイペースな人が多いんだ。

なかなか年賀状が来なくて、どうしたのかLINEで尋ねたら、「今年は1月4日に年賀状を書き始めたのさ~」なんて、信じられないほど悠長なメッセージが届いたり、「あれ?引っ越したの?」と、去年の年賀状を全然読んでいないようなメッセージが届いたりした。

親兄弟や友達の塩対応に嘆いていたら、1月10日くらいになって、ぽつりぽつりと年賀状が届き始めた。

 

今年はじめて驚いたのは、「結婚しました」と一行だけ書いてある弟からの年賀状。

え、結婚式をやったの?双方の両親に挨拶を済ませたってこと?など、頭がクエスチョンマークだらけになり、LINEで質問したところ、去年の誕生日に入籍したという返信が届いたの。

しかも、4年前に弟が彼女だと紹介してくれた美咲さん(仮名)ではなく、李佳さん(仮名)という初耳の女性と電撃結婚したらしい。

 

相手の名前が在日朝鮮人らしい漢字だったので、ああ、やはりそうなったかと思って涙がこぼれた。

実はうちの弟、在日朝鮮人の血が混ざってるの。

わたしが2才10ヵ月のとき、両親が離婚して父親の連れ子になり、日本人の父親はすぐに若い在日朝鮮人の女性と再婚したんだ。

 

つまり、わたしと弟は腹違いの姉弟。

子供の頃はあまり気にしていなかったけれど、大人になったら、混じり気のない日本人のわたしと在日朝鮮人の血が混ざった弟では、同じ環境で生きていけないことが分かったよ。

在日朝鮮人は結婚や就職で苦労しやすく、日本人のふりをしても無理があるので、最初から自分が何者なのかカミングアウトできる環境を選んだ方が良い。

 

今回は、日本で苦労をしている混血児、特に在日朝鮮人や中国人のハーフについてお知らせするね。

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混血児は日本で疎外感を味わいやすい

 

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歴史を振り返ってみると、縄文文化は日本列島がユーラシア大陸とつながっていた頃、はるばる渡ってきた人々が形成した文化なのよね。

日本人は土着に対するこだわりが強く、外国人を警戒する傾向があるのだけれど、もともとが移民の集まりだった。

 

その後、日本列島が大陸から切り離された。

4世紀から7世紀頃には中国や朝鮮から「渡来人」やってきて弥生文化が栄える。

 

縄文人と弥生人は、顔立ち、言葉、文化風習が全然違っていたけれど、少しずつ融合して古墳時代、飛鳥時代と日本が発展した。

日本人ってほとんどハーフなのよ。

ところが、日本人は血筋に対するこだわりが強く、明治時代の日韓併合以降、朝鮮半島から渡って来た人々、その他の地域からやってきた外国人、混血児などを「よそ者扱い」するようになった。

 

日本統治時代の朝鮮(にほんとうちじだいのちょうせん)は、1910年8月29日大日本帝国による韓国併合から、1945年9月9日朝鮮総督府の降伏まで、35年間続いた。

ウィキペディアより

 

日本で疎外感を味わった在日朝鮮人、外国人、混血児の中には、日本人の仲間入りをしたくて混じり気のない日本人と結婚したり、日本人と同じように学校へ通ったりするのだけれど、周囲に違和感を与えて仲間外れにされるケースが目立つ。

 

 

日本人になりたかった在日朝鮮人の母親

 

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わたしの育ての母親は、山口県宇部市厚南区にあるスラム街で育ったの。

本人が教えてくれたわけじゃないけれど、インターネットで母親の出身地を検索すると、隣保館(りんぽうかん)がすぐ近くにあることが分かったんだ。

在日朝鮮人問題をテーマにした映画『パッチギ!LOVE&PEACE』の舞台になった、東京都江東区枝川みたいなところだよ。

 

※隣保館=スラム街の貧困層を支援する社会福祉施設のこと

 

母親は在日朝鮮人何世なのか、先祖が強制的に連行されたのか、それとも自分の意志で移住したのかは分からない。

でも、筆舌に尽くせない疎外感を味わいながら、とても苦労して10代を過ごしたことは確かなの。

生活が苦しかったから、毎朝、隣保館でパンをもらっていたらしい。

 

嘘つきな反面、遠い目で過去回想をしているときの母親のセリフは、妙に真実味を帯びていたものだよ。

 

肩身の狭いスラム街で育った母親は、大人になったらどうしても混じり気のない日本人男性と結婚するのが夢だったらしく、20歳のとき、勤務先のデパートに出張していた父親と知り合って、略奪愛に走ったみたい。

2号さんからの立身出世ってやつ。

 

でもね、両親はデパートで知り合ったと言い張るけれど、わたしは職場不倫(?)でゴールインしたわけじゃないと思う。

 

もっと怪しい大人の社交場で出会ったんじゃないかな。

育ての母親は噓つきなわりに、秘密を墓場まで持って行く覚悟がないらしく、「王様の耳はロバの耳!」と言わんばかりに暴露する癖があるんだ。

小学校高学年のとき、母子手帳を見たのをきっかけに、胡散臭い在日朝鮮人の母親とは血がつながっていないことを知ってしまったのね。

 

ショックを隠せずに、何週間もふさぎ込んでいたら、在日朝鮮人の継母が「バレたか!」と言わんばかりの悪態を突いたの。

バスタオル一枚で居直り、自分のことを「わちき、わちき」と何度も呼んでいた。

父親が、「おい、やめろ!」って半分ブチ切れながら注意していてさ、「わちき」って言葉に奇妙なものを感じたけれど、大人に尋ねてはいけない気がしたから、こっそり国語辞典で意味を調べてみたんだ。

辞書には、「江戸の遊女が用いた語」とはっきり書いてあった。

 

覗いてはいけない大人の世界

 

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遊女の話になると、芥川賞を受賞した作家・宮本輝の『泥の河』っていう小説を思い出すよ。

昭和30年代、まだ戦後の遺恨が残る大阪の川べりで、未亡人と子供2人が廓舟(くるわぶね)で暮らしながら、男性相手の商売をしている話なんだ。

ある日、川の対岸にあるうどん屋のひとり息子・板倉信雄が、同じ小学校2年生になる廓舟の息子・松本喜一や姉・銀子と仲良くなって、ひと夏の交流をするのね。

 

喜一は学校にも通っていなかった。

しかも、隣近所の人々が母親の稼業を知っていて、「おまえのお母はん、パンパンやろ。おまえらみたいなんが近所にいてたら、気色悪うてしゃあないわ。(泥の河より)」と言われるような子だったけれど、うどん屋を経営している信雄の両親は、廓舟の子どもを家に呼んで、我が子と同じように可愛がっていたの。

 

お父さんは満州で九死に一生を得た人で、「ほんまあっちゅうまに死んでまうんやでェ、いまのいままで物言うとったやつがなあ。部隊で生き残ったんは二人だけや、日本の土踏んだとき、俺はしあわせや、何にものうても、生きてるというだけでしあわせや、心底そう思たもんや。(泥の河より)」と息子に教えている。

 

お母さんはストレスの影響なのか、都会の埃っぽい空気が原因なのか、喘息を患って大変そうだった。

けれど、お父さんと同じく戦争の苦労をしたから、廓舟の子どもに優しくしてあげることができたんじゃないかな。

 

廓舟は戦争で受けた傷が原因で骨髄炎にかかり、骨が腐って死んでしまった喜一と銀子のお父さんが漁業に使っていたものらしい。

お母さんが漁師をするのは肉体的にきつかったのか、「おばちゃんもなあ、あんたとこみたいなお店が持ちたかったけど……、いつのまにやら、体動かして働くのんが、しんどうなってしもた(泥の河より)」と、2人のお母さんが信雄に話しかけている。

 

わたしの育ての母親は廓舟で育ったわけじゃないけれど、『泥の河』に登場する姉弟みたいに一般人から冷ややかな視線を浴びせられて育ったらしく、ずっと普通の日本人になりたいと願っていたみたい。

ところが、略奪婚してスラム街を去った後も、言動のあちこちが日本人離れしているものだから、親戚やご近所と不協和音を奏でることになってしまったの。

 

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次回へ続く

 

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