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在日朝鮮人の継母は次々と問題行動を起こして祖父母宅から追放された

日本人になりきれない在日朝鮮人の継母

 

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 目次

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腹違いの弟が日本人女性と別れて在日朝鮮人の女性と電撃結婚した 」「在日朝鮮人の継母は日本人女性になりすまして父親の地元に住み着いた」に引き続き、家庭環境の問題について書くね。

 

恥知らずな在日朝鮮人の継母は、北海道にある父親の実家で暮らし始めたの。

離婚届と婚姻届は両方とも本人同士を除く2名の署名が必要なのだから、信じられないけど、祖父と祖母が同意したってことになる。

どうやったら不道徳な息子をあそこまで甘やかせるのか不思議だよ。

 

戦争が人間を狂わせたのかな。

明治生まれの祖父はロシアに出兵させられて、危うくシベリア送りなるところだったけれど、命からがら日本に戻ってきた。

祖母は三船殉難事件を乗り越えて、戦後を生き抜いたの。

終戦後、樺太から引き揚げる途中、祖母が乗っていた船の前後はロシアの大砲に撃沈されて海底に沈んで行った。

 

祖母のライフヒストリーはこの記事を読んでね

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戦争体験者は命があるだけで幸せと考える。

 

昭和30年代の大阪を題材にした宮本輝の小説『泥の河 (新潮文庫)』で、お父さんが小学2年の主人公・信雄に戦争の凄まじさを伝える場面が登場する。

 

「……戦争は、まだ終わってないでェ、なあ、のぶちゃん」

体に戦争で受けた弾の痕がある。背中から脇の下に抜けた貫通銃創の、大きな傷痕である。

宮本輝著『泥の河』より

 

『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる漫画家・水木しげるはニューギニアで爆撃を喰らい、軍医に麻酔なしで片腕を切り落とされた。

敗戦後、負傷した兵隊さんは定職に就けず、物乞いをしながら暮らしていたけれど、水木しげるは片腕のハンデを背負ってよく漫画家になったものだよ。

 

妻の武良布枝が書いたエッセイ『ゲゲゲの女房』も感慨深かった。

水木しげるは安定した収入があると嘘をついて布枝さんとお見合いしたのね。

出会ってから5日でスピード結婚をした後、布枝さんは食パンも買えないほど貧乏をさせられて、パン屋さんからパンの耳だけ安く分けてもらったり、道端に生えている野草をおかずにしたり、どうにか工夫して家計を支えていた。

 

どん底の生活をするくらいなら、短期間で売れるを描けば良かったのに、水木しげるは「おばけ」に対するこだわりが強くて、違うテーマの漫画を描こうとしなかったの。

貧乏しても戦争みたく命まで奪われることはないと楽観的に考えていた。

 

 

 

 

 

 戦争を経験した人は命があるだけで幸せと考える。

 

わたしの祖父母は生まれてきたばかりの長男を栄養失調で亡くした。

それで、次に生まれてきた息子(わたしの父親)に甘やかしたい放題をやっていた。

敗戦コンプレックスと祖父母の甘やかしが原因で、父親はねじれ曲がった性格になり、産後うつを患った母親を放り出して、気の向くままに若い在日朝鮮人の継母と再婚して人生の歯車を狂わせたの。

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冷蔵庫ですももを腐らせる継母

 

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すっかり裸の王様になった父親は、再婚相手が在日朝鮮人だと絶対に口外するな、もしバラしたら殴り殺すぞとダメ左翼らしく親兄弟を脅して、祖父母宅の二階で好き勝手に暮らし始めた。

新左翼が東京大学の安田講堂を占拠した安田講堂事件、新左翼組織・日本赤軍が人質をとって立てこもったあさま山荘事件、「評論家の西部邁は父親と同じく入水自殺でこの世を去った」という記事で紹介した山岳ベース事件など、1960年代後半から1970年代前半に多発した左翼事件の影響も受けたはず。

 

「万国のプロレタリア(労働者階級)団結せよ!」とばかりに、スラム街出身の在日朝鮮人を助けたのは良いけれど、継母は感謝をするどころか、日韓併合時代の恨みを言って、祖父母宅で嫌がらせを繰り返していた。

 

父親がわざわざ札幌のデパートで李(すもも)を買ってきても、笑顔ひとつ浮かべることなく、「馬鹿にしちょる!よう食べんわね!」とふてくされて、冷蔵庫に入れても腐るほどの期間、わざと放置していたの。

車で往復2時間かけて調達した李(すもも)が台無しよ。

戦時中、食糧難に苦しんだ祖母は、在日朝鮮人の継母が食べ物を粗末にしたことを怒って、新鮮なうちに食べなくてはいけないと何度も教えたものの、返事もせずに反抗するだけだった。

 

つんぼ三年、おし三年っていう朝鮮人のことわざがあるんだ。

嫁は耳が聞こえず喋れない人のように、何事も姑の言いつけ通りにしなさいって意味。

継母はことわざを逆手にとり、祖母の忠告を聞こえないふりをして、家事手伝いもせずに無視を続けたの。

 

それでも父親は男の子を産んで欲しかったのか、在日朝鮮人の継母がどれだけ悪態を突いても丁重に扱って、李(すもも)が嫌いだったらリンゴをあげよう、リンゴが嫌ならパイナップルをあげようと、次々に機嫌取りをしていた。

2人は職場不倫で意気投合したことになっていたけれど、高飛車な女性に果物をプレゼントするのって、ホステスに気に入られたい客の常とう手段じゃないかね。

継母はどんな果物をもらっても口にせず、スーパーで買ってきた温州みかんを誰にも分けないで食べていたよ。

 

すももの酸っぱい味が苦手なわけじゃなくて、スラム街で育ったものだから、珍しい果物を食べたことがなかったの。

1966年の日本をテーマにしたアニメ『おもひでぽろぽろ』でも、当時珍しかったパイナップルの食べ頃が分からず、まだ酸っぱくて硬い果肉にかじりつく場面が登場する。

 

誰でも初めて食べる果物はドキドキするじゃない?

ライチ、ドラゴンフルーツ、マンゴスチンなど、東南アジアの果物を食べるとき、恐怖心を覚えた日本人がたくさんいるはず。

 

在日朝鮮人の継母は素直にすももを食べたことがないと打ち明ければ良いものを、日本人から馬鹿にされるのを極端に怖がり、冷蔵庫で腐らせて、故郷の山口県で暮らしていた頃によく食べていた温州みかんを自分だけのために買ってきた。

 

 

祖父に反抗して敬語を使わない継母

 

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祖父母宅の二階を占拠したのにも関わらず、在日朝鮮人の継母は感謝することなく、あからさまな反抗を続けたの。

朝鮮人は日本人よりも儒教を重んじるせいか、人と対等な関係を結ぶよりも、上下関係をはっきりさせる方法を好む。

継母の場合は祖父母より立場が弱いのに、へりくだると日本人が調子に乗ると教えられて育ったせいか敬語を使うこともできず、じいさん、戦争中に痛かったじゃろ?あはははははと非常識なタメ口を聞いていた。

 

※痛かったじゃろ=「痛かったでしょう」という意味の山口弁

 

祖父はロシアに出兵したのであって、朝鮮半島には行っていないと祖父母や父親に繰り返し説明されても、分からん!分からん!と口を尖らせて何とも言えない視線を送っていたよ。

スラム街で暮らしていたとき、日本人に冷ややかな視線を送られたり、馬鹿にしたような口を聞かれたり、嫌な経験をして育ったせいじゃないかな。

継母は危うくシベリア送りになるところだった祖父を悲しむのではなく、日本人全体に対する恨みをぶつけたくて、憂さ晴らしをしたくてしょうがない様子だった。

 

どれだけ周囲が継母を対等に扱おうとしても、冷蔵庫で李(すもも)をわざと腐らせたり、祖父を馬鹿にしたような口を聞いたりして、恩を仇で返すような愚行をやめなかったよ。

日本人の仲間入りをしたいから、略奪愛までして苗字を変えたはずなのに。

日韓併合時代の恨みを抱えた継母は日本人になりきれず、次々と問題行動を起こして、祖父母宅から追放されることになったの。

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次回へ続く

 

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