ニート主婦Kの暮らし

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家庭内暴力が原因で記憶を失っても右脳に色の思い出が残っていた

アンビバレントからの脱出

 

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レジェンドと呼ばれた憧れの棋士・山本伸さんに恋をしていた少女時代 っていう記事で将棋のお守りを渡したいのに渡せない、アンビバレントな気持ちについて書いた。

一週間くらい悩んだけれど、勇気を出してお守りと手紙をレターパックで山本さんに送ったよ。

本人の住所と電話番号は知らなかったので、同期だった中條君が支部長を務めている将棋支部に送ったの。

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インターネットが普及して便利な時代になったものだ。

山本さんに憧れていた90年代の田舎では携帯電話すら見かけなかった。

当時、わたしはアルコール中毒の父親が在日朝鮮人の継母に家庭内暴力を振るっている最低な家庭環境で育ったから、実家に電話をして欲しくても番号を伝えることさえ困難だった。

 

 

家庭環境についてはこの記事を読んでね。

 

www.neetwifek.com

 

ところで、レターパックには山本さんのお守りと手紙だけではなくて、中條君宛てのお守りと手紙、将棋センターでお世話になった故・佐藤さんと故・前多さんのお香典を同封したんだ。

ご依頼主の欄に日本将棋連盟の住所と電話番号を書いちゃった。

結婚して苗字が変わったことを知らせたくなかったの。

 

それに、地元のことを思い出すと消えてしまいたい気分になるから、はっきり名前と住所を書けなかった。

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その後、レターパックの伝票番号を追跡したところ、不在届が入ったみたいで焦ったよ。

1週間以内に届けないと日本将棋連盟に返送されてしまう。

どうしようか悩んだ結果、中條君のメールアドレスに連絡をしたら、翌日には郵便局で直接受け取ってくれた。

 

中條君はレターパックを確認して、『できればお名前を教えていただきたいのですが、なにか理由があるのですね。どこかでまたお会いできればと思います。』とメールの返信をくれた。

10代の頃から気配りができる優しい人間だったけれど、さらに磨きがかかっていて感動した。

俺様の山本さんではなく中條君を好きになっていたら、よほど精神的に楽だったんじゃないかな。

 

 

東京人は決断力がある

 

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今回、中條君にレターパックを送る→山本さんにお守りと手紙を渡してもらうというミッションを達成してすっきりした。

すごく簡単にやったように感じるかも知れないけれど、これだけの行動をとれるようになるまで10年以上かかったよ。

北海道で暮らしていた頃はためらってばかりいた。

 

こんな風にテキパキ行動できるようになったのは都会暮らしを始めてから。

東京人はボサーッとしていてタイミングを逃す確率が低い。

恋愛や結婚にしても、デートに誘うタイミング、告白をするタイミング、プロポーズをするタイミングが絶妙で間延びをさせないんだ。

 

 

上京したばかりの頃、飲食店でウェイトレスをやっていたら、調理師さんたちが誕生日に花束やネックレスをくれたことがあった。

わたしに対してだけじゃなく、若いウエイトレスは皆そうしてもらっていたの。

「20歳の誕生日にシルバー製品をもらった女性は幸せになれる」というジンクスがあるらしく、調理師さんたちは恥ずかしげもなくバラの花束やティファニーのオープンハートネックレスをくれた。

 

さすが都会は華やかだなと思って感動したものだよ。

北海道で暮らしていたときは誕生日にネックレスをプレゼントしてくれる男性はいなかった。

高校時代に好きだった男子は信じられないくらいに気が利かなくて、クリスマスはスルー、誕生日にお祝いもしてくれなかった。

 

 

まだ異性に慣れていなかったから、「記念日をおろそかにすると破局につながる」という定説が理解できていなかったのかも知れないけれど、それにしたって北海道の男性は女性に夢を見せることができない。

結婚を前提にする真面目な男性が多いにしても、しょぼい割り勘デートでロマンチックな気分になる女性はいないため、ゴールインせずに逃げられるケースがたくさんある。

運よくゴールインしても、牛乳を底値で買わせるような貧しい生活をさせていたら、奥さんが馬鹿らしくなって離婚を考えるようになる。

 

 

それに比べて、東京の男性は恋愛経験が少なくても、必死にリサーチして最高のパフォーマンスをする。

元旦那は26歳のとき、「親に紹介したいから一緒に実家まで来てくれる?」と電車の中で言ってくれたのね。

同じ電車に乗っていた乗客が旦那のことをクスクス笑って、「あんたじゃ無理だよ」「随分と必死なんだね」など言って嘲笑していた。

 

けれど、「笑わないでください!」と元旦那は食い下がり、フランス料理店で婚約指輪をくれてゴールインした。

たとえ離婚になったとしても、ためらって一生後悔するくらいなら、結婚に乗り切ったほうが良いと考えていたみたい。

 

 

今の旦那は初デートからフランス料理店に誘ってくれて、合鍵とスワロフスキーの宝石箱をプレゼントしてくれた。

「いつか宝石箱に入れる婚約指輪を用意します」という意思表示をしたのね。

そこまでハイレベルな恋愛テクニックを使えるようになるには、何度も失敗から学んで、成功体験を積んだのだと思う。

 

 

とにかく、わたしは東京人のテキパキした行動を見習って、タイミングを外さない人間になれるよう努力した。

ずっと北海道で暮らしていたら、こんな風にはなれなかったはず。

 

 

ドラクエ5「天空の花嫁」の思い出

 

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元旦那はゲームの傑作と呼ばれるドラゴンクエスト5「天空の花嫁」が好きだった。

主人公が2人の女性から結婚相手を選ぶストーリーなの。

1人は幼馴染のビアンカ、もう1人は成長してから出会ったフローラっていう女性。

 

日本人は幼馴染キャラに弱いらしく、ゲーム制作者としてもビアンカを選んで欲しいという願いを込めている。

けれど、元旦那はビアンカよりもフローラを選ぶと言って聞かなかった。

非力な子供時代を一緒に過ごした相手よりも、夢や希望に向かって突き進める今現在のパートナーを選んだ方が良いんだって。

 

 

わたしは何年も元旦那の意見に反対だった。

もう二度と訪れない10代を過ごした相手が貴重に思えていたの。

でも、最近になってようやくフローラを選ぶ男性の気持ちが分かるようになってきた。

 

10代はエネルギーが有り余っているだけで経験値と経済力が足りなすぎる。

自分自身を振り返ってみても、バレンタインデーにチョコレートも渡せないような情けない青春時代を過ごして終わった。

それに比べて、今は相手を気遣って励ますことができる人間に成長した。

 

フローラを選ぶと断言した元旦那はもう二度とわたしに振り返らないだろう。

そうであっても、ドラクエ5の素晴らしさを教えてくれたことに感謝してる。

 

 

 痩せてしまった山本さん

 

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山本さんはいつ中條君から手紙とお守りを受け取るだろう。

将棋大会に参加中の本人画像を見たら、かなり痩せて全盛期のような迫力を失っていて、こっちが悲しくなってしまった。

それに地元を検索すると、最低な家庭環境で育てられていた頃のトラウマがフラッシュバックして、全身に痛みが走る。

 

大人の事情で会えなくなった人々ともう戻らない故郷が悲しい。

アルコール中毒の死んだ父親が迷惑をかけ散らしてみっともないし、40代で経年劣化した姿を見られたくない。

「今さら何だよ!」と思われたくないし、「もう覚えていない」と言われたらショックだよ。

 

 

 あとは、山本さんが結婚していたら複雑な心境になるし、そうかと言って独身だったら老後が心配でいられない。

手紙とお守りを送るくらいしかできない自分が悲しい。

どうにか気持ちを整理しないと不安神経症にかかってしまう。

 

 

心理学者の加藤諦三氏から精神状態を学ぶ

 

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最近、テレフォン人生相談で有名な加藤諦三の著書『「やさしさ」と「冷たさ」の心理 自分の成長に〝大切な人〟を間違えるな』を読んでいて、過去の自分がどんな精神状態だったか気付くことが多いんだ。

 

 

 

 
 
 
著書にはこう書いてある。
 
小さい頃、親から感情を押しつけられた子供は自分の内面の感情におびえる。
親から感情を押し付けられた者は、小さい頃、甘えの欲求を完全に押さえなければならなかった。
 
むしろ、小さい子供のほうが、親の甘えの欲求を満たすための手段となっていたのである。
このような子供は、あまりにも周囲からの要求が多すぎて、自分の内面の感情におびえるようになる。
 
 
わたしは親にすべての物事を押し付けられて生きていた。
高校を卒業後、新千歳空港内にあるレストランでウェイトレスをやりたかったけれど、「お前は人に飲み物を注ぐような仕事がしたいのか!」と怒鳴られたの。
そして、「育て方が悪いからこうなる!」と言って力任せに母親を殴りつけた。
 
こっちにしてみたら、新千歳空港のレストランにこだわる理由があった。
本州から親戚のおじさんが出張で北海道にやってきたとき、最後に空港で見送ることになって、飛行機の出発時間になるまでレストランで楽しく過ごしたのよ。
 
 
親戚のおじさんと過ごした数日間を「祭りの後」みたいに振り返りながら、テーブルに置かれたクリームソーダの緑色とサクランボの紅色が作り出す幻想的なコントラストに魅了されていたの。
何とも言えない、年齢不相応な哀愁が漂う時間だった。
たった一回注文したクリームソーダが忘れられない貴重な思い出になった。
 
※その後も緑色が好きなまま変わらなかった
 
しかし、アルコール中毒の父親は子供の意見を聞こうともせず、頭ごなしに怒鳴りつけて操り人形のように操縦しようとばかりしていた。
10代後半になる頃には、抑圧しきったフラストレーションが限界値に達して、これ以上父親に関わるくらいなら死んだ方がマシと考えるようになってしまった。
将棋センターで山本さんのことを想う心の余裕がなかった。
 
山本さんを好きな気持ちより、父親に対する憎悪の念がはるかに勝っていたの。
 
 

記憶喪失でも右脳が記憶していた水色

 

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昔、『白鳥麗子でございます!』っていう漫画で白鳥麗子が恋人の哲也と大喧嘩をして実家に戻った後、あまりのストレスで記憶喪失にかかる場面があった。

10代の頃は漫画だから大袈裟に描いているだけに感じていたけれど、わたしも白鳥麗子と同じように記憶が抜け落ちていることを知って、ものすごい衝撃を受けたよ。

北海道に帰省したときは駅から実家の帰り道が分からなかった。

 

そんな調子なのに、上京してから何十年も水色が好きだった。

下着、抱き枕、カラーシャツ、クリアファイル、パジャマなど身の回りに水色のアイテムが多かった。

どうしてそんなに水色が好きなのか理由が分かって悲しくなった。

 

 

水色は山本さんが好んで着ていた服の色だったんだ。

左脳から論理的な記憶が抜け落ちても、右脳で感覚的に覚えていたみたい。

いつまでも変わらず水色が好きでいて欲しいな。

 

変わらないで、変わらないで、変わらないで、変わらないで、いつまでも夢や希望を持ち続けて。

わたしはどんな箇所が変わって、どんな箇所が変わらずにいるだろう。

純粋に全力で自転車をこいでいた頃の自分を忘れずにいたい。

 

   

 

 

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