ニート主婦Kの暮らし

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レジェンドと呼ばれた憧れの棋士・山本伸さんに恋をしていた少女時代

将棋大会でトラウマがフラッシュバック

 

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今月上旬に約25年ぶりで女流将棋大会に参加したよ。

開催地は相撲の両国国技館で有名な墨田区両国だったので、東京都内に住んでいるわたしにはアクセス便利で良かったけれど、朝10時集合がきつかった。

しばらく睡眠時間が朝7時から夕方4時だったもので。

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更年期障害と寝不足でふらふらしながら会場にたどり着くと、予想していたよりはるかに多くの女性棋士が集まっていた。

藤井七段の活躍で将棋ブームが起きているみたい。

有名な女流将棋大会はプロになるための登竜門と考えられていて、参加者の半分くらいは賢そうな顔をした小中学生なんだ。

 

 

将来を真剣に考えている女の子になると、はるばる飛行機や新幹線で東京にやって来て、親と一緒に前泊までして対局に挑んでいた。

会場にスーツケースを持ち込む親子がたくさんいて驚いたよ。

本人の希望なら良いけれど、親にガミガミ怒られながら対局している子は可哀想だった。

 

ところで、将棋大会は段級位ごとにクラスが分かれていて、わたしは3級以上が参加するAクラスに申し込んでいたの。

一番難しいクラスではないため、余裕で入賞できるかと油断していたら、リーグ戦3勝2敗で全然ダメだった。

かろうじて佐藤康光九段から「研鑽」と書かれた色紙をもらって手ぶらを免れた。

 

平成生まれの小中学生は頭の回転が速くて大人びている。

オンライン将棋サイトで交流している同世代の男性から、「将棋大会で小学生と対局したらプレッシャーを感じて手が震えた」とは聞いていたけれど、自分が小中学生に負けてみて、ここまで情けない気分になるとは思わなかった。

性能面で新型ターミネーターに劣る旧型ターミネーターみたいだった。

 

 

北海道地震で支部会長が事故死

 

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女流将棋大会から帰宅すると3粒くらい涙が出たよ。

将棋大会で入賞したいなら、本や将棋教室を活用して棋力アップしなくてはならないと思った。

約25年ぶりの将棋大会だったせいか、10代の頃に通っていた北海道の将棋道場を思い出して、当時強かった棋士の棋譜(対局の記録)を検索することにした。

 

けれど、某将棋センターは運営者の佐藤さんが高齢になって、数年前に閉鎖したことが分かったの。

代わりに、将棋の支部会長をやっていた前多さんが北海道地震で階段から転落死したという、ショッキングな新聞記事を見つけてしまった。

前多さんは責任感が強くて若手を育てるのがとても上手な人だった。

 

 

記事にもある通り、わたしと同世代の中條君に『一晩寝るたびに強くなるな』と繰り返し褒めていた。

中條君はポジティブ思考で念願だった全国大会出場を果たすことができた。

そして、前多さんに恩義があったのか、支部会長を引き継いで地域活性化に尽力しているみたい。

 

とにかく前多さんは、「大丈夫」「君なら勝てる」など前向きな言葉で将棋仲間を励ますタイプの人だった。

10代の頃、将棋センターで一番レベルの低いCクラスに参加したとき、前多さんが棋譜を記録してくれている姿を見て、対局しながらポロポロ泣いたことがあった。

支部会長が直々に下手くそなわたしの棋譜を記録してくれるなんて、もったいなくて申し訳ない気分になったの。

 

 

石田流の使い手はガラスのように壊れやすい

 

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北海道地震で亡くなった前多さんは石田流・三間飛車の使い手だった。

石田流は序盤の勢いがあり、終盤にかけて失速しやすい。

今までに何度も三間飛車の使い手と対局したことがあるけれど、ガラスのように壊れやすい気がしてならないよ。

 

ところで、少女時代のわたしはアルコール中毒の父親に散々迷惑をかけられていた。

日曜日に将棋センターにやって来て、「うちの娘は天才なんだべ?そうなんだべ?」など、わざわざ頭の悪い発言をしては周囲をイラつかせていた。

終戦直後に産まれた父親は祖父母に甘えたりなかったのか、精神面が大人になりきれないまま年をとってしまって、反抗期の中学生みたいな愚行を繰り返していたの。

 

ある時、支部会長の前多さんと父親が将棋センター前で口論になって、「お前なんか階段から転げ落ちて死んでしまえ!」と怒鳴られたのよ。

理由は父親がわたしに近親相姦をやっていると嘘をついたから。

もちろんデマなんだけど、父親は90年代に流行したドラマ『高校教師』のパロディで悪ふざけをしていた。

 

父親は「タコ!」と呼ばれたら「イカ!」と言い返すような低レベルだったから、温厚な前多さんに向かって、「お前が階段から転げ落ちればいいべや!」と反論してしまった。

前多さんは、「分かった。今はまだ役に立ってるから死なないけれど、いつか階段から転げ落ちて死ぬと約束する」と返答していた。

父親は慌てて、「冗談、冗談。あんたが死ぬことはない」とフォローしていたが、前多さんは社会貢献ができなくなったら生きていてもしょうがないと考えている様子だった。

 

 

あれから約25年が過ぎて、まさか本当に階段から転落死するとは思わなかった。

北海道地震が発生した午前3時7分に前多さんは偶然、自宅の階段を歩いていたのだろうか。

そもそも長生きしたい80代は2階を寝床にするだろうか。

 

一週間ほど動けなくなって、自宅でずっと寝込んでいた。

階段から転落した場面を想像しては繰り返し泣いていた。

あの日、「2階から転がり落ちたくらいで人間は死なないでしょ」と言った父親に、「頭から落ちれば大丈夫。手をつかなければ打ちどころが悪くて死ぬ」と前多さんが答えたような記憶が残っていた。

 

25年前の会話だもの。

ただの記憶違いかも知れない。

前多さんが天国へ旅立った事実だけ残った。

 

 

レジェンドと呼ばれた憧れの棋士・山本伸

 

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どうにか起き上がれるようになって、レジェンドと呼ばれた憧れの棋士・山本伸さんの棋譜を検索した。

山本さんは将棋センターでトップクラスの腕前を持つ棋士だった。

よく胆振(いぶり)地方の代表選手として札幌の将棋大会に参加していた。

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名古屋から北海道に転勤してきた30代前半の山本さんは、少女だったわたしから見ると、銀河の彼方からやってきた宇宙人くらいにハイスペックだった。

頭脳明晰で俺様なタイプだったから、近寄りがたくて、あまり対局したことはなかったよ。

将棋センターを運営していた佐藤さんから、「山本さんは何をやっても一番だから、分からないことがあれば質問してみて」と言われたけれど、将棋の質問をしても、「自分で考えれば?」と返されるくらいだった。

 

 

多分、トヨタの社員じゃないかな。

一流企業に勤めている人は厳しい競争社会で生きているから、上司に質問をしても、「自分で考えれば?」とあしらわれることが日常茶飯事なのだろう。

山本さんはよほど理想が高いのか独身だった。

 

将棋に関しては、北海道に住んでいた頃から山本さんの棋譜に興味があったけれど、まだインターネットが普及していなくて検索するのが困難だった。

それに、当時は将棋を好きでやっていると言うより、将棋センターに通わないと父親が母親に家庭内暴力を振るうから、やむを得ず通っていただけ。

いつも睡眠不足に悩まされていて、しょっちゅう雪山で凍死したいと考えていた。

 

 

そんな調子だから、棋力アップどころではなく、日曜日の夜になると自殺願望に悩まされながら将棋センターに通っていた。

暗い調子で将棋を続けていたら、遂には運営者の佐藤さんに呼び出されて、「もうここに通うのをやめてくれない?」と言われてしまった。

アルコール中毒の父親が将棋センターに顔を出すのも嫌だったのだろう。

 

すっかり心が折れて、「分かりました」と伝えた。

「おい、おい。そんな事でへこたれてどうする?頑張って将棋を続けなよ」と佐藤さんは言ってくれたけれど、投げやりな気持ちでいっぱいになっていた。

佐藤さんは戦争経験世代で建設会社を経営していたせいか、少し説教されたくらいで立ち直れなくなる女の子の気持ちが分からない様子だった。

 

※佐藤さんは地元に「佐藤正則杯」という将棋大会を残して、今年5月に89歳で永眠。

将棋の神様になって棋士を見守っている。

 

 

その後、わたしは約25年間、将棋を封印した。

JR総武線で市ヶ谷駅の近くを通りかかると、レンガ色をした日本将棋連盟のビルが見えるのだけれど、寄ってみたいと思うことはなかった。

上京したばかりの頃は四畳半の部屋で貧乏生活を送っていたため、将棋どころではなく、忙しない東京の生活に慣れるだけで必死だったの。

 

詳しくは、戦後、元米兵が願いを込めて製作した幸せを呼ぶピンクの鏡台を読んでね。

 

 

北海道に絶大な影響を与えた山本さん

 

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名古屋で生まれ育った山本さんは織田信長のような性格をしていた。

北海道の将棋センターで目標もなく、のんびり、ぼさーっと対局をしている人がいれば、「さっきと同じミスをしてる!」「研究しないと強くなれない!」と周囲から嫌われることを恐れずビシッと注意していた。

地域の将棋レベルを上げるために一生懸命だったみたい。

 

山本さんは俺様で毒舌だったけれど、嘘をつかない人だった。

「いつか名古屋に帰るの?」と誰かに質問されるたび、「いや、ずっと北海道にいる。俺は北海道が好きだよ。」と真っ直ぐに返答していた。

あれから約25年経過したのに、今でも山本さんが北海道の将棋大会で活躍していることを知って嬉しかった。

 

 

けれど、年齢的な理由なのか全盛期に比べると、少しだけ順位が下がっていた。

アマチュア竜王戦北海道大会で山本さんが負けた棋譜を見つけて暗くなったり、

そうかと思えば、将棋大会に参加している本人画像を見つけて嬉しくなったり、一喜一憂してしまう。

 

少女時代、わたしは心にアンビバレントを抱えていて、「山本さんの応援で一緒に全道大会に行きたい、でも行きたくない」とか、そんな事ばかり考えていた。

映画『ロッキー』みたく、全国大会出場の切符を勝ち取って、「エイドリアーン!」みたく言って欲しかったのね。

大人になってから、そういう気持ちを憧れと呼ぶことが分かった。

 

 

とにかく山本さんに対しては自信がなくて、全道大会の応援に行くとしてもスーツを持っていないから恥ずかしいとか、バレンタインデーにチョコレートを渡すとしても、高級ベルギーチョコくらい渡さないと喜ばれないとか、ネガティブな方向に考えては暗くなっていた。

叶いもしない恋愛について悩んでは途方に暮れていたんだ。

 

 

当時、「俺は頭打ちにあったら将棋をやめる!」と山本さんは言っていた。

棋力向上しなくなったら将棋をやっていても意味がないと感じていたみたい。

「山本さんが将棋をやめたら、皆、寂しがるんじゃないですか?」と励ましたのだけれど、少しは気持ちが伝わったかな。

 

全盛期を過ぎても山本さんにはシニア戦のチャンスがある。

満60歳以上が参加する全国シニア将棋名人戦で全国大会に出場できるかも知れない。

映画『ロッキー・ザ・ファイナル』みたく、夢や希望を捨てないで、これからも勝った棋譜を残して欲しいよ。

 

 

千駄ヶ谷の将棋会館で初対局

 

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東京・千駄ヶ谷(せんだがや)にある将棋会館は棋士のメッカなんだ。

日本全国から2階将棋道場にアマチュア棋士が集まって凌を削っている。

時間帯によっては指導対局でプロ棋士に会えるよ。

 

自分の意志で将棋会館に出向くのに約25年かかった。

平日の午前中は定年退職した高齢者や、休校日にかけつけた小中学生が対局していた。

新型ターミネーターみたいな子供たちが怖かったけれど、向こうも女性に緊張していて、駒を落としたり、しきりに爪を噛んだりしていた。

 

ああ、なんだ怖いのはお互い様なのかと思った。

対局後に感想戦をやって打ち解ける子供のあどけない顔が可愛かった。

これからも週1回ペースで通うつもり。

 

 

将棋会館となりの鳩森神社を参拝

 

 

 

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漫画『3月のライオン』に登場する将棋会館となりの鳩森八幡神社を参拝した。

将棋センターの運営者だった故・佐藤さんと支部会長だった故・前多さんの冥福を祈ったよ。

いつも空から佐藤さんと前多さんが見守ってくれている気がしてならない。

 

それから、「王手必勝守」というユニークなお守りを見つけた。

いい歳をして、「山本さんに贈りたいけれど、贈りたくない」っていうアンビバレントな気分になり、結局買わずに終わってしまった。

現在、北海道で支部会長をやっている中條さんに頼めば、将棋大会のときに渡してもらえるだろうけど、ずっと音信不通だったわたしに突然お守りをもらって、山本さんが喜んでくれるか分からない。

 

愛情で将棋を指す

 

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なんだか不思議だな。

将棋を封印していた約25年間、全然思い出さなかった山本さんの記憶が戻るなんて。

アルコール中毒の父親に苦しめられていた少女時代がフラッシュバックした瞬間、体じゅうの古傷が傷んでいるように感じた。

 

再婚した旦那に救われるまで、古傷を忘れるために新しい傷を作り、無意識のうちに自傷行為を繰り返していた。

少女時代は将棋を指しても、抑圧した怒りや憎しみが爆発寸前になるだけで、あまり楽しく感じていなかった。

インターネットで将棋仲間を見ていると、過去のわたしと同じようにストレス発散の目的で対局している人がたくさんいるよ。

 

でも、今後は愛情で将棋を指すことにした。

北海道では自殺を考えるくらい精神的に追い詰められていたから、将棋センターでやたら暗くて無反応だったけれど、3~4年かけてようやく自分を大切にできる人間になってきた。

 

当時、「どうしてそんな風にハラハラさせるような将棋を指すの?」と支部会長をやっていた故・前多さんに心配されたことがあったよ。

隣にいた山本さんは、「人を安心させるつもりが無いんだよ。」と呆れていた。

それくらい、わたしはギリギリのぶっち切りみたいな、どうしようもない将棋を指していた。

 

その後、大人になりきれなかった父親が入水自殺して、窃盗をやらかした弟が刑務所に入った。

弟は囲碁で全道大会3位に入賞したことがあったけれど、親の悪影響を受けて、わたしと同じようにギリギリのぶっち切りみたいな対局をしていたのかな。

 毒親に迷惑をかけられた過去が悲しい。

 

 

 第二の将棋人生

 

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元旦那は幼少期にお母さんが不倫をした挙げ句、精神分裂病(現在の統合失調症)にかかって苦しめられた毒親育ちなんだ。

最近になって、「子どもの頃の記憶が抜け落ちていたことに気づいた」とカミングアウトしていたけれど、あまり信じていなかったの。

でも、わたしも同じように10代の記憶を失っていたことに気づいて、キムタクが主演したドラマ『眠れる森』みたいな話が実在すると分かったよ。

 

『眠れる森』は一家殺害事件でひとりだけ生き残った女性を題材にしてる。

事件現場に居た少女(中山美穂)はあまりの衝撃で記憶喪失にかかるんだ。

結局、最後はトラウマのフラッシュバックで誰が真犯人だったのか思い出す。

 

 

わたしの場合、振り返ってみると、女流将棋大会に参加する約1カ月前に名古屋の箕輪碁盤店で将棋盤と駒を注文していた。

将棋駒は山形県天童市が有名なのに、どうして名古屋のお店に注文したのか自分でも分からなかったけれど、記憶喪失になっていても名古屋出身の山本さんを心のどこかで覚えていたみたい。

 

注文した将棋盤と駒は職人さんが製作中なんだ。

受け取りにあと1カ月~1年以上かかる。

根気よく完成を待って、到着したら山本さんの分身だと思って大切にするつもり。

 

 

恋と憧れの違いが分からなかった少女時代の自分が可愛く感じる。

当時はお金の価値もよく知らなくて、山本さんが高所得なのか考えたこともなかった。

けれど、仮に恋愛成就していたとしても、客観的にはいかにも家柄の悪そうな少女が金目的で、本州から転勤してきた30代前半の男性に好意を抱いているようにしか見えなかったんじゃないかな。

 

現在、わたしの棋力は初段から二段に向かって伸びている。

将棋の研究をしていると、山本さんが四段~五段になるまで、とても熱心に研究していたことが分かったよ。

ひたむきな努力を続けていた山本さんが愛おしい。

 

届くかな、届くといいな。

 

   

 

 

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